S先生

これは私が小学5年のときに他校から赴任し、卒業するまでの2年間担任だった、S先生の回顧録です。

同じ市内に住んでいても会うことはありませんが、いまだに私や同級生の心に棲みついて離れないS先生について、もうすぐ彼の79回目の誕生日ということで、少しシェアしたいと思います。

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S先生は当時40代後半だったが、180cm弱のスラリとした身長なのに猫背で、昔ながらの分厚い眼鏡をかけ、髪は7、3分け、白髪の多い老けた印象の人だった。すでに定年を迎えていたかのような落ち着きがあり、仙人のような風貌だった。始業式の朝、壇上に並ぶ新入りの先生方。「今度はどの先生が担任になるのかなぁ」と、みんなキョロキョロしながら色んな先生を観察し始めた。私は壇上で背中を丸めたS先生が直感的に担任になるのだと思っていた。「5年2組…、S先生!」と、司会の先生がマイクで紹介した。「はい!」と大きな声で返事をし、一歩前に出たのが、なんとそのS先生だったのだ。「え〜〜〜」残念がる私、そして周りの同じクラスの子たちも、同じような声を上げた。こうして、S先生は私のクラスの担任となり、結果的に強烈な存在感とたくさんの教えをくれたのだ。

S先生は理科の先生で、いつも淡々としていた。理科と算数が大嫌いな私。たまに言うジョークは思い出せないほどのつまらなさで、クラスメイトたちと密かにS先生のことをモノマネしたりバカにしていた。地味なジャージ姿、猫背のまま流した前髪を直す。やることなすことが一昔前で、明らかにその佇まいはお爺ちゃんのようだった。あまりにも気の毒に思えたときは、肩たたきをやってあげたり、白髪を抜いてもいいかと尋ねると「抜いてくれ」と言われたので、大量に抜いてあげた。そして肩たたきと白髪抜きの最後には、肩にのったフケを払ってあげて「ありがとう、楽になったよ!」と言われたのが嬉しかった。乗っていた愛車はスバルのシルバー色のポンコツ車。子どもながらに哀愁を感じた。

ある日、1組と3組の若い担任同士が結婚をし、夏休みを利用して海外に新婚旅行に出掛けた。帰国後、1組と3組の児童だけにはお土産が配られた。子ども心に私は、2組にもお土産を買ってこなかったその気遣いの無さに呆れ、S先生に不満をぶつけた。S先生は黙っていた。私に寄り添いもしないし、新婚カップルのことを批判するわけでもなかった。そんなこと俺に言われても、というのが正直なところだったのか。

小学校では週に何回か、晴れた日にはグラウンドで朝礼があった。朝礼が終わると、朝礼台を片付けるのを「私のクラスで片付けますから」と、S先生がいつも進んで言い出し「ほれ!みんな片付けろ!」と私たちにやらせていた。もちろんみんなは「なんでいつも2組がやるんだよ!」と不満を漏らしていた。

今では考えられないが、当時は教師と保護者たちは年に何回か親睦会という名の飲み会があり、私の母や友達のお母さんたちは、いつのまにかみんなS先生のトリコになっていた。彼女たちは『S会』と名付け、飲み会から帰ってくるなり母が「S会すごい楽しかった!写真も撮ってきたから現像したら見せるよ」とルンルンだった。後日現像された写真を見せてもらうと、あのS先生がお母さんたちに囲まれ、子どもたちには見せたことない超絶スマイルでピースをしていた。母も友達のお母さんたちも、それぞれツーショットで楽しそう。それにしても、なぜあんな爺さんにみんな惹かれてしまったのか。母はS先生とたまたま同い年だということもあり、話も弾み、かなりコアなファンと化していた。「S先生はホントに面白いね」とか「頭がいいのに偉ぶらなくてすごいわぁ〜」など、S先生の知らない一面を聞かされ、毎日顔を合わせる私には信じ難いことだった。

後日母から聞いたのは、S先生は過去に受けもった児童のことでとても辛い経験をしてきたと知った。それはここには書けないが、その話を聞いて私は、とてもショックで泣きそうになった。そんな事情があっても教師を続けているS先生のひたむきさと情熱さに、今までバカにしていたのが申し訳なく、密かに尊敬すら覚えた。だが、尊敬しているだなんて周りの友人にも言えないので、表向きはS先生のことを面白がったりバカにして過ごしていた。

S先生は以前の学校で受けた精神的苦痛が癒えぬまま諦めずに前進し続け、担任となったからには責任を持って職務をこなしてきた。私が大人になり、子どもを育てていくうちに、S先生が自ら率先して私たちに朝礼台を片付けさせたことの意味、そしてどんなに辛いことがあっても教師として働き続け、のちに校長となったことは、とても大きな尊敬心とともに、無言の何かが私に訴えてきた。新しくこちらに赴任してきて2組の愉快なお母さんたちとのコミュニケーションに救われていたのもあったのだろうが、それはお母さんたちが、ということよりも、S先生の自主的な関わり方が大きかったのだろうということに気づいた。でなければ、面白い一面をお母さんたちに見せることはなかったと思うし、関わることすら拒んでいたかもしれない。周りの協力や信頼を得るには、自分自身の気持ちの持ちようで、良い方にいくらでも変われるんだということも学んだ。

昨年、たまたま私の親友が、S先生を市内の眼科で見かけた、とわざわざLINEしてくれた。受付でS先生のフルネームが呼ばれたのを聞いて、(え、、ひょっとして…、、)と思ったその時、背中がさらに丸まり小さくなったお爺ちゃんのようなS先生が、スッと立ち上がったそうだ。すかさず話しかけたところ、覚えていてくれたようで「今度はいつ来院するの?」と尋ねると、日時を教えてくれたらしい。その日に会えるなら行ってみようかなと思ったが、あいにく仕事があり、叶わなかった。

S先生のLINEも知らないので(恐らくLINEとかもしていないだろうが)、毎年彼の誕生日には、S仲間で「おめでとう」のメッセージを送り合っている。ある友人は、私のためになのかわからないが、私が描いたS先生の似顔絵でLINEスタンプを作ってくれた。私たちがこの歳(恐らく当時のS先生の年齢)になっても、今もなお鮮明に強烈に甦るS先生。S先生としては、特に私たちを楽しませたり盛り上げようともしなかったのに、大切なことは黙って教えてくれていたようだ。余計なことは言わないし、面白くないので子どもとしては物足りない先生だったが、時を経て成長した私にとっては「あー、、いい先生だったんだな」と思える人であることは間違いない。

人を育てるという仕事は、成果が出るのに時間もかかるだろう。並みではない忍耐も必要だし、子どもたちにとってはウザいなと思われても、その子どもたちがいろんな経験をして成長したときに「あの先生はウザかったんじゃなくて『熱心』だったんだな」とわかる日が来るだろう。時間と忍耐をかけた分、きっと本当に本当に喜びも大きくなるのだろう。私はアタマがないし器もないから教師にはなれなかったが、誇りを持ってできる職業としてとても尊敬している。日々愛を持って接することで、今までうけもってきた児童や生徒たちが、この先に思いが変わることーーもしかしたらそれを当時のS先生は信じてブレずに毎日出勤していたのかもしれない。

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S先生、お誕生日もうすぐですね!おめでとうございます。

直接お礼を言いたいのですが、なかなか勇気もありません。私が言えたら、先生はきっと照れてしまって、ますます体を丸めてしまうかな?(笑)

来年は80回目の誕生日だから、同級生を誘ってサプライズでお祝いに行っちゃおうかな(笑)肩たたきをプレゼントするねー!